パニック障害のままでもいい、変わらなくてもいい、と思えば楽になれる。

パニック障害を患っていると、できないことがたくさんあって、落ち込んだり、情けなくなったり、「このままじゃ駄目だ」と思うことがたくさんある。

でも本当に「このままじゃ駄目」なのか。

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「このままじゃ駄目」と思う理由

「このままじゃ駄目」の「このまま」という状態は、簡単に言えば、パニック障害でいること。

具体的に書くと、苦手なところがあったり、行けないところがあったり、一人で行けないところがあったりすること。

そして、もう少し深く書くと、生きる目的をまっとうしていないとか、自立していないとか、社会性や生産性がないとか、そんな感じ。

そんな自分は他人より劣っていると思うし、できない自分が情けないし、人に迷惑をかけていることが申し訳なくてたまらない。

こんな自分じゃな駄目だ。変わりたいと考えるは至極当然かもしれない。

本当は「このままでもいい」

でも本当に「このままじゃ駄目」なのか。

人間には、生きる目的を持っていなくても、社会に役立っていなくても、生産性がなくても、自立していなくてもいいというっていうのが生きる根底にある。

ホントかよ、と思うかもしれないが、そういう人はたくさんいる。周りを見れば一目瞭然。

例えば、老人とか生産性0でも生きている人はたくさんいる。

ニートや引きこもりの人たちは、目的がなくても生きている。

障害等があって一人では生活に支障のある人も、たくさんいる。

動物も生産性ないけど、生きてる。

そういう人たちもちゃんと生きてる。みんな楽しく暮らしている。

だからどんな風に生きてもいい。パニック障害であろうがなんだろうが別にいいのだ。

「このままじゃ駄目」というのは間違い。「このままでもいい」のだ。

それが生きる根底にはある。それが絶対であり、それに勝るものはない。揺るがない。

とは言ったものの

でも、そんなこと言ったって僕たちは社会の中で暮らしいているわけで、「このままでもいい」なんて言われても「はい、そうですか」とはならない。

社会的には「社会人はこうあるべきだ」と突きつけられ、判断し評価されるのだから、「このままじゃ駄目だ」と思うのは当たり前じゃない?となる。

まぁ、たしかに。言われてみればそうだよね。

でも「このままでいい」という生きる根底あっての社会性だから。

どっちが優先かとと言ったら、社会性よりも生きる根底の方。

目的意識は辛い

行けないより、行けたほうが確かにいいよ。

できないことができるようになったほうがいいよね。

でも「このままじゃ駄目だ」と思って行動療法とかやるのと、「このままでもいい」と思ってやるのだと正反対の結果になる。

「このままじゃ駄目だ」と思ってやると目的意識になってしまうから駄目。

目的的意識でやると苦しみと恐怖しかない。

ひとは苦しいことには取り組みたくない。目的のためだけに頑張る人生は辛い。一生できない。

目的意識に囚われるくらいの、恐怖と苦しみの取り組みの人生に比べれば、「このまま」な人生のほうが遥かにマシ。

できないことたくさんでも、社会性なくても、そのまま人生終えたって別にいいのだ。

コメント

  1. nao より:

    私はパニック障害でクリニックに行きました

    クリニックではパニック障害は不安神経症と言われましたが

    医者があなたは鬱病ですと言った言葉でその日から鬱になりました

    最初のSSRIで酷い頭痛に合いクリニックを止め

    セントジョーンズワートで誤魔化してましたが

    偶然、親の認知症に捜したバコパとアシュワガンダと言うハーブが

    過剰分泌されたストレスホルモンのコルチゾールを抑える事を知り

    自分も試したら不安も何も無い状態です、試して見て下さい

    • えむ氏 より:

      コメントありがとうございます!
      聞いたことないハーブですね。
      調べてみます。

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