「生の欲望」のところでも書きましたが、人間というのは生まれながらにして、より健康でありたい、よりよい人生を過ごしたい、という欲望を持っています。
これは逆に考えれば、不健康になったり、自分が惨めな状態になったりすることを非常に恐れる、ということになりますよね?
つまり、パニック障害を含む神経症の方は「生の欲望が強い」=パニック障害を含む神経症の方は生まれつきこのような心配が強い、と言えるのではないでしょうか?
ヒポコンドリー性基調
こういう心情を森田療法では「ヒポコンドリー性基調」と言います。
「ヒポコンドリー性基調」とは「自分の不快な気分、病気、死に関して、気にやみ取り越し苦労をする心情」のことです。
「ヒポコンドリー」という言葉はギリシャ語で「肋骨の下」みたいな意味でして、何か悩みとかストレスがあると胸が締め付けられるような感じになることがありますよね?そのことを表した言葉かと思います。
それで森田療法ではこの言葉に独自の意味を付して「ヒポコンドリー性基調」と名付けました。この「ヒポコンドリー性基調」は「生の欲望」とともに、神経症の方の大きな特徴なんです。
ヒポコンドリー性基調は「死への恐怖」
「生の欲望」を一言で言うなら「生きたい!」という言葉になりますが、「ヒポコンドリー性基調」を一言で言うなら「死にたくない!」という言葉になるんです。
つまり「生の欲望」はその言葉通り、「生きることへの欲望」ですが、逆に、「ヒポコンドリー性基調」の根本は「死への恐怖」なんです。
「死への恐怖」が根本にあるから、自分の体に異常が起こるのではないか、自分の今の状況が不利になるのではないか、何か災いが起きるのではないか、と心配してしまうのです。
ヒポコンドリー性基調と生の欲望は表裏一体
「ヒポコンドリー性基調」は「生の欲望」とともに、神経症の方の大きな特徴と書きましたが、「ヒポコンドリー性基調」は「生の欲望」と対をなすと考えられています。
例えば、よりよく生きたいという「生の欲望」が強ければ強いほど、よりよく生きられなかったらどうしようという不安が強くなってきます。
人一倍健康でありたいと願えば願うほど、自分が病気になったらどうしようという不安が大きくなります。
片方が強ければ自然ともう片方も強くなる、このように「ヒポコンドリー性基調」と「生の欲望」は表裏一体であり、密接な関係があるのです。
ですので、「ヒポコンドリー性基調」も「生の欲望」と同じように、生まれながらにして存在するものであり、人間が成長していく過程で発展していくものであります。
そして「生の欲望」と同じように、人間なら誰にでも必ず存在する心情と言えます。死の恐怖のない人間なんていないですからね。
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