親が旅行に行ったりして、自分が不安の場に立たされると、パニック障害のことをよく考えてしまう、えむ氏(@mlog_xyz)です。
逆に言えば、そういうときにしかパニック障害のことを考えません。今は仕事が充実していて、毎日の生活がとても充実していると言えるからパニック障害のことなんて考えないのです。
パニック障害に対する考え方が変わった
僕とパニック障害との関係性は昔とはずいぶん変わりました。
今はパニック障害を治したいとがむしゃらに行動しているわけではありません。そういう意味ではパニック障害を治すことに向き合っていないと言われてしまうかもしれないが。
でもそれはそれで理由がある(と思います)。
そもそもパニック障害を必死で治そうとしていたときは、パニック障害を治さないと仕事もできない、結婚もできない、人としてのまともな生活ができないとか思っていました。
パニック障害を患っている今の自分はほんとうの自分じゃない、パニック障害が治ったときにはじめて自分のほんとうの人生がスタートするんだ、みたいなことも考えていました。
でも、パニック障害を患っている今のこの状況も本当の自分であり、自分の人生であるという考えに変わってきて、パニック障害が治らないと何もできない、何も始まらないっていう考えはなくなってきました。
パニック障害をわずらう今のこの状況でやれることを精一杯やればそれでいいんじゃいかと思えてくるようになりました。
現にパニック障害を治さなくても今仕事ができていて、とても充実しています。
本当は必死になってパニック障害を治さないといけないのかもしれないけど、必死には行動はできていません。
(かと言って何も挑戦していないとか、自分の安心できる環境にばかりいるというわけではないけど、出来る範囲で挑戦を少しずつしているという感じです。)
逃げのような発言に感じる人もいるかもしれないけど、人って誰しもが何かを抱えて、できないことがあったり生活に制限があったりする人もいて、でもその人達もその中で精一杯生きているのだから、パニック障害を患う僕もそんな感じでいいのではないかと思う時もあります。
まぁその人は治らない病気とかだとして、パニック障害は治るってところは違うのかもしれないけど。今はそんな考えに至っています。
予期不安に勝ちたい
話を戻して、安心できる環境がなくなると、とたんに僕は予期不安に襲われます。
それが、そんなに不安になる状況でなくても、自分の心配事や懸念を悪い方向にどんどん膨らませてしまって、自分で予期不安を大きくしてしまいます。
そんな思考の癖は重々承知で、前からいろんな方法や気持ちの切り替え、考え方の切り替えで予期不安を受け流す方法を実践してきましたが、久しぶりだとどんなふうに受け流していたか忘れてしまいます。
今思うとそんな大したことなかったなと思えることでも、その時は必死に頭を回転させて予期不安の解決方法を探っています(これがそもそもダメなのかも)。
日々の積み重ねって大事なと痛感しています。
コメント