[パニック障害]父の言葉で、縛られていた思考にオサラバできるかもと思った話

i-ma-i-ke
昨日も父と電車に乗りに行きました。
その道中父と話していて、僕の凝り固まった思考がいっきに柔らいだ気がしたので書いときます。
これで僕は、少し前に進めるかもしれません。

スポンサーリンク

電車の乗って、自分の目標の駅のひとつ手前の駅についた時の父との会話(うるおぼえ)

僕:もう一つ(駅)いこう。

父:わかった。

僕:ちょっと不安だけどね。もうちょっと頑張るわ。てか、ほんと(僕って)何が不安なんだろうね。

父:ほんと、何が(おまえは)不安なんだ?

僕:うーん、死への恐怖かな。(パニック発作で)死なないのはわかってるんだけど、考えが凝り固まってるんだよね。何かの考えに偏っている人っているでしょ?それで生きづらくなっている人、強迫性障害の人とか。僕は死を意識しちゃって、不安が起きそうな電車とか乗れなくなってるんだ。

父:うん。

僕:死ぬのってふつう怖いけど、普段はみんな意識してないじゃん。僕はそれを意識しちゃってるというか。それがダメなんだと思うんだけど。

父:わしは死ぬの怖くないけど。

僕:え…?普通死ぬの怖くない?

父:誰だっていつかは死ぬんだ。そんなもん、運命で決まっとるんだ

僕:僕はまだ生きたいって思ってるんだよ、だからその反動で死ぬのが怖いというか…。ていうか何か僕は自分の力で生きていると思ってたけど、もしかしたらただ生かされているだけなのかも。

父:そう。神様に生かされているだけ。いつ死ぬかなんて運命で決まっとる。自分で生きてるなんておこがましい。

僕:そっか。僕の生き死には自分の意志ではないんだ。僕がいつどこで死ぬかも運命でもう決まっているんだな。そう考えるとなんかすごい楽な気がする。

この話をして、その後がとてもうまくいった

こんな感じの会話だったでしょうか。それから僕は目標の駅に降り立って、いろいろいブラブラしました。

いつもなら時間を気にしたり、「もうそろそろ帰ろうよ」と父に自分から言ったりしていましたが、父に帰ろうと言われるまで、ショッピングやカフェを楽しみました。電車を乗る練習の中で、これほどショッピングやカフェを楽しむことは今までほとんどありませんでした。

認知行動療法としても、もう少し先に進めそうだなとも思いました。

自分の思考がどのように変化したか

今まで僕は認知行動療法として電車に乗ると、不安が襲ってくることがありました。僕が恐れているものは死の恐怖でした。不安が襲ってくると、このまま死んでしまうのではないか、頭がおかしくなるのではないか、倒れてしまうのではないか、息が止まってしますのではないか、と考えていました。不安は死に直結すると考え、そのような不安になるようなところは避けていました。それを避けないように認知行動療法として電車に乗っていました。

その不安、死の恐怖を考えることについて、「自分は神様に生かされている」「運命はもう決まっている」という話を聞いて、無意味なことに気づきました。僕がいつどこで死ぬかも決まっていて、その運命に抗えないのなら、死んでしまうのではないかという考えは意味がないことになります。

僕は人生80年と考えています。ですので、今は死ぬ予定ではありません(笑)。そう思っているので、今が死ぬときではない気がして、そう思うとますます「死んでしまうのではないか」という考えが無意味なものになります。

逆に今死んでしまう運命でもそれが運命であるなら仕方ないことなので、仕方ないことを考えることも無意味です。運命として諦めるしかありません。諦めるで言えば、確かそんなことが載っている本があったけど、その時はあまり響かなかったな。

まとめ すべてに感謝

このように「どう考えたところで、どれにしても無意味」という結論が出て、僕の頭のなかの「死んでしまうのではないか」という思考が薄れました。言うなれば、「死んでしまうのではないか」という思考で凝り固まったいた心が、少し和らいだ感じです。

僕はどちらかといえば今まで自分の力で生きてきたと思っていました。自意識過剰で自信過剰で、何でも自分で出来ると考え、人よりも優れていると考えていました。特に挫折したこともなく、大きく傷ついた過去もなく、人に支えられていることもあまり感謝せず、人を傷つけてばかりいました。そんなダメなやつでした。こんな性格もパニック障害の治らなさと関係があるかもしれません。

今回の気付きで、「神様に生かされている」という以外も、「家族に支えられている」「友達に助けられている」「彼女に癒されている」など、いろいろ「されている」ことにも気付きました。その感謝が僕には足りないことにも気付きました

すべてに感謝できるようになれればいい大人になれるかな。

コメント

  1. すんちゃん より:

    いつもHPで、大変勉強させてもらっています。また勇気をもらっています。お父様のことば、私もとても楽になりました。私も同じく、結局は「死」を恐れているのです。それがもし決まっているなら、心配するだけ無駄ですね!! ゆっくり言葉をかみしめます。ありがとうございます。

    • えむ氏 より:

      コメントありがとうございます。
      死ぬのって怖いですよね。「まだ死にたくない!」って僕は強烈に思っているだと思います。
      だけど、人の生き死には自分で決めるものではないと教えられて、少し楽になりました。
      すんちゃんさんも焦らずゆっくり治していきましょう。

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました