ピンチ(またの名をチャンス)

ちょっと前に両親が海外に5日ほど旅行に行ってしまうという、ピンチというかチャンスが巡ってきました。

両親がいない時、改めて思ったことは、両親は僕にとって安心感そのものであり、いつでも必ず助けてくれる完璧な人であるということです。

両親がいない時、時折不安が押し寄せてくることがありました。でもその時いろいろ考えたのだけど、不安が起きた時に完璧な安心感がないと駄目なのかといえば、それは×で、ちょっとした安心感(マイナスな思考や発想をプラスに変えるくらいの)があれば、不安は大きくはならず、自分も落ち着くことができて、あとは時間が経てば自然と不安が消えていく、要するに大きな安心感でなくても、ちょっとした安心感があれば、不安に対処できるということが実体験としてわかりました。

また、両親がいないことで、どんな生活になるのか?いつでも必ず助けてくれる完璧な人がいなくて大丈夫なのか?なんて大袈裟に考えた時もあったけど、人は順応するもので、両親がいないならいないなりに生活できました。なんなら両親がいつも側にいることによって、「この安心感にスペアはないんだ」という思い込みを日々強固なものにしていたのかもしれません。そんな完璧な人を求めなくても、その時その時で助けてくれる人がいさえすれば、安心感は得られるのだから、それで十分なのです。

それから、不安は感情以外の何ものでもないなと思いました。例えば何時間も怒っていられないように、何時間も不安が続くこともないわけです。だから両親がいない時に、不安を感じることがいつもより多くありましたが、結局、不安は一瞬だけで、そのうち消えてしまいました。不安が起きたことを気にするのは不安を大きくする要因ですし、そんなほっとけば消えるような感情に真剣に悩むことは無駄な労力ですよね。それに何かを始めるとき、どこかに行くとき、必ずと言っていいほど不安が起きるけど、結局は最初だけってことが多いのは実体験済みです。朝、仕事に行く前とか特に。だから不安が起きても気にしなくていいんです。

両親が旅行に行って考えたことで一番大事だと思ったことは、パニック障害を治すのに必要なものは「安定した生活」ではなく「挑戦の毎日」だということです。「安定した生活」はとても居心地がよくあまり不安もパニックも起きず暮らしやすいです。ですが、見える景色も、感じ考えることも、ほとんど変わりません。「その上のステップに行こう」、「もっとパニック障害を治したい」と思ってもなかなかうまくいきません。そういうチャンスやきっかけがないからです。「挑戦の毎日」には、いろんなチャンスがあります。壁にぶち当たったり、困難が待っているかもしれません。でもそのたびに前とは違うことを考えたり、「こうしたほうがいいんじゃないか」と思うことがあります。アクションを起こすことで、物事を他の面から見ることもできるし、自分を客観的にみることも可能です。だから「安定した生活」より「挑戦の毎日」が大事だと思います。とは言っても、「挑戦の毎日」だけでは辛いかもしれないとも思いますので、「安定した生活」に「挑戦する日」を盛り込んでいくのがいいのかなと思います。

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