パニック障害を患うと、どんな時でも自分の体の症状や、自分の感情の変化が気になって仕方ないですよね。
また何かをしようとしても、パニック障害という観点から物事を考えてしまう、例えば「パニック発作が起きるかもしれないから行けない。」とかこういう考えですね。
とらわれ
こういった状態を森田療法では「とらわれ」と言います。上記のような方たちはパニック障害に「とらわれ」ているのです。
「とらわれ」とは「人が何か(観念など)に心を拘束されて、自由に物事を考えられなくなること」です。
僕たちは「パニック発作」を起こし、「予期不安」や「広場恐怖」に「とらわれ」ることによって、パニック障害になってしまった、と言うこともできます。
このように「とらわれ」はパニック障害の特徴とも言えるものなのです。
欲望にとらわれることはよくある
そんな「とらわれ」ですが、何もパニック障害や他の神経症の方たちだけに起こるものではありません。
「とらわれ」もまた誰にでも起こりうることですし、もうすでに何かに「とらわれ」ている人もたくさんいます。
例えば、お金に「とらわれ」ている人もいれば、権力に「とらわれ」ている人もいます。
名声に「とらわれ」ている人もいます。
人間には欲望があり、欲望にはきりがありませんので、そういった欲望に「とらわれ」ることなんてよくあることです。
行動を拘束するとらわれ
それではこのような欲望に「とらわれ」る人と、パニック障害に「とらわれ」る人との違いは何なのかと言うと、前者は欲望に「とらわれ」ながらも、自由に物事を考え、行動することができるのに対し、後者はその「とらわれ」によって誤った観点からしか考えられなくなり、「とらわれ」によって行動を拘束されてしまう点です。
とらわれからなかなか抜け出せない
こうやって「とらわれ」のことを十分理解していても、「とらわれ」から簡単に抜け出せないのが、「とらわれ」のやっかいなところです。
「電車に乗るとパニック発作が起きる」という誤った観念=「とらわれ」を持った人に、「大丈夫だよ、電車でパニック発作が起きたのは偶然だよ、今は薬も飲んでるし乗れるよ」と言ったところで、この人の「とらわれ」なくなるとは思えないし、電車に乗ることもためらうでしょう。
また、「電車でなくても閉塞感がある場所でもパニック発作が起きるのではないか?」と考え始めれば、その考えはいつしか「とらわれ」になることもあり、どんどんと生活の幅はせまくなっていきます。
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