神経質

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そういえば森田療法では、パニック障害や強迫性障害のことを「神経質」と呼んでいます。「神経症」ではなく、「神経症」の一症状としての「神経質」です。これはどうしてかというと、今まで述べてきた事柄・症状は普通の人がもつ不安や葛藤の連続であり、普通の人と一線を画すような特異なものではなく、誰の心の中にもあるもので、それが少しだけ大きくなった、多くなった、顕著になったことが問題なのだと考えているからです。つまりは、普通の人がもつ不安や葛藤の連続にすぎないのだから、日常において理解できないような特異な神経症ではないし、神経症と呼ぶほど特別なものではないということです。

ですが、普通の人とは大きく違うところもあります。それは非社会的であるというところです。森田療法でいう「神経質」の方は、症状があるから人と話せないとか、症状があるから考えられないとか、症状があるから日常生活が送れないとか、何らかの理由をつけて現実から逃避してしまう傾向がみられます。「神経質」の方は普通の人がもつ不安や葛藤の連続に「とらわれ」ることによって、日常生活から逃避するような態度をとってしまうのです。

不安や葛藤の連続に「とらわれ」によって日常生活から逃避するような態度をとる、このことについてもう少し詳しく解説すると、このような誰もが持つ不安や葛藤に「とらわれ」てしまう原因は「強迫観念」にあり、「神経質」の方はたいていは「強迫観念」を持っています。それが「とらわれ」を助長し、日常生活からの逃避を助長します。例えばパニック障害の方ならパニック発作が起きた時、「このまま死んでしまうのではないか」とか「ここで倒れたら変な目で見られるのではないか」とか「心臓が悪いのではないか」とか、このような「強迫観念」が少なからずありますよね?

この強迫観念に「精神交互作用」の項でも書いたような理想主義や完璧主義の一面が絡まってきます。「何の不安もなくパニック発作も起こさず生活したいのに、現実では不安を感じパニック発作を起こしてしまう自分がいる」、「電車にはみんなみたいにリラックスして乗らなきゃいけないのに、どうしてもうまく乗れない」、このような理想と現実とのギャップが自分を悩ませ苦しめます。理想や完璧を求めすぎることによって葛藤が生まれます。そんなうまくいかない現実や、理想と現実とのギャップを受け容れるだけ心の余裕をなかなか持ち合わしている人は少ないのです。特にパニック障害を患って自分の中で何が起こっているかもよくわからないのに、心の余裕、周りを見渡せる余裕なんてありませんよね?したがって、症状はどんどん大きく、どんどん拡大していき、日常生活から逃避するようになっていくのです。

したがって、症状を取り除こうと考えるのではなく、症状を受け容れる心の余裕を持つこと、症状を受容できるような人格を形成することが大事になってくるのです。

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